あなたをキレイに、
健康に、
そして幸せにします
MAKES YOU BEAUTIFUL, HEALTHY AND HAPPY
南森町 増田歯科・矯正歯科は地下鉄谷町線の南森町から徒歩2分、JR東西線の大阪天満宮駅の8番出口を上がってすぐにある歯医者です。
当院では、患者様の多様化する患者様のニーズにお応えするため、一般歯科治療や歯周病治療だけでなく、矯正歯科、インプラント、見た目にこだわった治療の他、エステなどのさまざまな研修に参加し、治療に取り入れています。
わかりやすい説明、痛みの少ない治療を心掛け、常に患者様の視点に立った診療を行っています。患者様のために、適切な治療を提供できるよう、コミュニケーションを大切に、患者様の気持ちに寄り添った環境を提供していますので、些細な事でもお口に問題を感じている方は、ぜひ一度ご来院ください。
医療法人健誠会 南森町 増田歯科・矯正歯科
理事長 増田智基
Tomoki Masuda
院長の生い立ち
幼少期
私は歯科医師の父と母ピアノ講師の母のもと、3人兄弟の末っ子として生まれました。兄とは10歳、姉とも5歳離れており、みんなにかわいがれて育ちました。
私の父は歯医者で、私の祖父も歯医者です。家の横には父の診療所があり、物心ついた頃からよく遊びに行っていました。治療の音や技工物を削る音が日常にある環境でした。
父はこだわりが強く、患者様の詰め物などを自身で作っていたので、技工室で父が技工をしているのもよく見ていました。母方の祖父も歯医者でしたので、気がつけば自然と医療やものづくりに囲まれて育っていたように思います。
生まれつき体が弱く、外で活発に遊ぶよりも家の中で工作に夢中になるタイプでした。繊細で慎重な性格だったこともあり、細かい作業に集中する時間が好きでした。
今思えば、この頃の過ごし方が、今の「丁寧さ」や「こだわり」に繋がっていると感じています。
小学生時代
小学生の頃は、姉と同じ学校に電車で通っていました。
1年生の頃は姉や兄と一緒に登校することも多く、兄姉の友達にも声をかけてもらいながら、温かい雰囲気の中で学校生活を過ごしていました。
家が学校から少し離れていたこともあり、放課後は一人で過ごす時間が多かったのですが、家の中で工夫しながら遊ぶことが好きで、物を作ったり細かい作業に没頭することが得意でした。
また、父とキャッチボールをした時間は今でも大切な思い出です。休みなく働いていた忙しい中で自分だけに向き合ってくれたことがとても嬉しく、愛されている実感を覚えました。
体が弱く、運動が得意というタイプではありませんでしたが、好きだったサッカーでは、負けず嫌いな性格もあって一生懸命プレーし、仲間に喜ばれる場面もありました。
できないことも多い中で、「挑戦することの大切さ」を学んだ時期でもありました。
大きな転機になったのは、小学4年生で始めた吹奏楽部です。音楽が身近にある家庭で育ったこともあり、自然と興味を持ち、思い切ってトランペットに挑戦しました。母が厳しくも丁寧に教えてくれたおかげで少しずつ上達し、個人レッスンにも通い、本気で取り組む楽しさを知っていきました。 仲間と励まし合いながら練習を重ね、西日本大会で優秀賞をいただけたことは、大きな自信につながりました。
また、毎日学校へ通い皆勤賞をいただけたことも、自分の中では大切な経験のひとつです。
継続する力や粘り強さは、この時期に養われたものだと思います。
そんな小学生時代の終わりに、大きな出来事がありました。
小学校6年生のとき、父が過労と不摂生から倒れ、しばらく診療ができなくなったのです。
数カ月にわたり、家族はもちろん医院で働くスタッフ、そして通ってくださっていた患者様にも大きな心配と負担がかかりました。
「一人が倒れることで、こんなにも多くの人が困るのだ」と、子どもながらに強く感じたのを覚えています。
当時、子どもだった私にできることは限られていましたが、この経験は私の人生にとって大きな学びでした。
“健康を失うと、本人だけでなく周りの人も悲しい想いをしてしまう”
それを身をもって感じたことで、後に歯科医師として「働き世代の健康を守りたい」「未病の大切さを伝えたい」という想いに繋がっています。
中学時代
中学受験では、在籍していた小学校の付属中学には進めませんでしたが、その経験をきっかけに、自宅の近くにある吹奏楽の強豪校の付属中学を受験したいと、初めて自分の意思をはっきり伝えることができました。
入学後は、中高一貫の大きな吹奏楽部に入り、本格的にトランペットに向き合う日々が始まりました。部員は135名ほど、トランペットだけでも21名。レギュラーは6名の枠しかなく、高校生と同じ舞台で競わなければならない環境でした。
それでも「トランペットでは誰にも負けたくない」という負けず嫌いな性格から、朝練、放課後、居残り練習と、一日中楽器に触れる生活を続けました。
朝7時から夜9時まで練習に没頭し、宿題が間に合わない日もありましたが、担任の先生は私の姿勢を理解し、見守ってくれていました。今でも感謝しています。
努力を重ねた結果、中学1年の後半には高校生を押しのけてレギュラー入りすることができ、大きな達成感を味わいました。
しかし、その後は順調なことばかりではなく、調子に乗ってしまったことで人間関係に悩み、精神的な負担から音が出なくなり、レギュラーを外れる経験もしました。
それでも「続けること」の大切さを知っていた私は、気持ちを切り替えて練習に向き合い、また少しずつ実力を取り戻していきました。うまくいく度に人間関係でつまずくこともありましたが、その中でも音楽と仲間に助けられ、粘り強く続ける力が育まれたと感じています。
結果として、毎年の全国大会のマーチング部門では賞をいただき、仲間と一つの舞台を作り上げる喜びを深く経験しました。
中学時代の吹奏楽で得た競争心、諦めない姿勢、仲間と協力する力、そして忍耐力は、今の歯科医師としての土台になっています。
高校進学の際には成績が足りないと言われましたが、顧問の先生が紹介してくれた塾に通い、短期間で学力を伸ばして合格することができました。
努力すれば道は開けるということを教えてくれた、担任の先生、顧問の先生、塾の先生には今でも深く感謝しています。
高校時代
高校では、中学から続けていた吹奏楽を2年の夏で一区切りつけ、将来のことと向き合う決断をしました。
8年以上続けてきたトランペットは簡単に離れられるものではありませんでしたが、「これからの人生をどう生きるか」を考えたとき、進路に集中するため思い切って退部しました。
その頃、父は再び体調を崩し、兄が歯科医師として懸命に支えていました。私はその姿を見て、
「自分も家族を助けたい」
「父のように、周りの人の力になれる仕事をしたい」
という思いが強くなり、歯科医師を目指す決心を固めました。
それまで勉強は得意ではありませんでしたが、覚悟を決めてからは一心不乱に勉強しました。中学時代からお世話になっていた塾の先生方には、どんなときも私を認め、見守り、支えていただきました。うまくいかない時期も決して見放さず、夜遅くまで付き添いながら励ましてくださった講師陣には、今でも深い感謝の気持ちがあります。気持ちに答えたい一心で、寝る間も惜しむほど必死に勉強しました。その甲斐もあり、夏明けのテストで成績を大きく伸ばすことができました。
担任の先生は大きな挑戦をする私の努力を認めてくださり、直接関わっていない先生方にも温かく応援していただいたことを今でも覚えています。
最終的には勉強のスタートが遅れたこともあって第一志望であった国立大学には届きませんでしたが、祖父と父の母校である大阪歯科大学に無事合格。
応援してくださった先生方や塾の恩師に深く感謝しながら、高校生活を終えました。
大学時代
大学時代は、歯科医師としての基盤と、人としての成長を大きく支えてくれた時間でした。
中学時代からお世話になっていた塾の恩師のもとで講師として働き、高校生を担当させてもらいました。
“どうすれば興味をもって学んでもらえるか”“どう伝えれば理解が深まるか”を常に考え、問題を作ったり、説明方法を工夫したりしながら、指導する側の責任とやりがいを強く感じました。
教える立場を経験したことで、今の患者様への説明やスタッフ育成にもつながる「伝える力」が磨かれたと思います。
歯科の学びにおいては、技術面を特に大切にし、実習にも真剣に向き合っていました。
父を早く支えたい、そして超えられるような歯科医師になりたいという思いから、大学外の著名な先生(本多歯科)へも見学に出向き、臨床を間近で学ぶ機会を積極的に得ていました。
一本の歯と真剣に向き合う姿勢は、この頃に強く育まれたものです。
加えて、新しい挑戦としてヨット部に入部したことも私にとって大きな経験でした。
海が好きだったこと、大学だからこそできる新しいことに挑戦したかったことが動機でしたが、実際には体力・技術・判断力・精神力・自然を読む力など多くが問われる奥深い競技でした。
体格的に恵まれていなくても、知識や技術、自然を読む力で補い、パートナーと協力しながら上級生と競えるほどのスピードを身につけました。
とはいえ、試合本番では精神的に崩れて結果が出ないこともありました。
それでも経験を積みながら入賞できたことは大きな自信になりました。
5年生ではキャプテンを任され、強くて楽しいクラブを作ろうと尽力しましたが、学年で一人しかいない立場で抱え込みすぎ、チームを十分にまとめられなかった悔しさもありました。
それでも、卒業後も可能な限り部に顔を出し後輩をサポートしたことは、私なりの責任の果たし方だったと思います。
この経験を通じて、「相談すること」「一人で背負いすぎないこと」「チームワークの大切さ」を深く学びました。
こうした大学生活を経て国家試験に合格したとき、幼い頃からの経験を支えてくれた家族、情熱を注いで指導してくれた塾の先生方、大学の仲間や先輩、そしてご縁のあった先生方への感謝があふれ、“ようやくスタートラインに立てた”という実感がこみあげました。
私の夢が、1つ叶った瞬間でした。
勤務医時代
大学卒業後は、できるだけ早く一人前の歯科医師になりたいという思いから、症例数が多く、尊敬できる先生がいる新潟の歯科医院に就職。住み慣れた大阪の地から離れてあえて厳しい場所に身を置き、社会人としての学びと、臨床技術を徹底的に磨くことに専念しました。
当時、同期のドクターは12名。
負けず嫌いな私は、「まずは、この中で一番のドクターになる」と決意。
その目標を胸に、毎日夜遅くまで練習し、休みの日は他院の見学や医療図書館に通い、知識と技術を必死で積み上げました。
一人暮らしで自立することも目標の一つで、生活面でも大きく成長できた時期でした。
しかし、歯科医師として患者様の人生に関わる責任の重さに戸惑うことも多く、医療人としての厳しさを痛感したのもこの頃です。
そんな中で支えになったのが、社会人育成の講師や、矯正治療を指導してくださった各務先生との出会いでした。
各務先生は今でも月に一度教えをいただいている、尊敬する大切な師匠です。
努力が実り、1年目で一般的な治療を習得。また、働きぶりも評価していただき、2年目の後半には分院長を任されました。
さらに3年目には「大阪・江坂の医院を立て直してほしい」と理事長からご依頼いただき、江坂院の院長を務めることになりました。
院長としては、患者様と信頼関係を築くことに加え、スタッフ教育や若手ドクターの育成にも力を注ぎながら診療にあたりました。
多くの患者様、多くのスタッフ、多くの学びに支えられ、歯科医師としての軸が育ったのが、この勤務医時代でした。
そして振り返ると、この時期に出会ったスタッフや患者様の中には、 今も南森町まで足を運んでくれたり、一緒に働いてくれている方たちがいます。
新潟や江坂での経験が、人とのつながりとして今も続いていることは、私にとってかけがえのない財産です。
父の医院に戻る
勤務医として経験を積みながらも、さらなる技術向上のために他院の見学や非常勤の仕事を続け、少しずつ父の医院での診療にも携わるようになりました。
そうした積み重ねの先に、長年お世話になった法人を離れ、本格的に父の医院へ戻ることを決意しました。
これは、幼い頃から胸に抱いていた2つ目の夢「父を助けること」 を叶える瞬間でもありました。
私にとって最高の親孝行であり、大きな覚悟をもって臨んだ決断でした。
しかし実際に父と並んで診療に立つと、自分がまだまだ未熟であることを痛感しました。
何より驚いたのは、患者様が父に寄せている深い信頼と尊敬の気持ちでした。
創業から47年。
40年以上通い続けてくださる患者様も多く、子どもの頃から診ている方が大人になり、そのお子様やお孫様まで来院されます。
父が積み上げてきた年月の重み、人として、歯科医師として、どれほど患者様に寄り添ってきたのか──
その大きさを目の当たりにし、胸が熱くなりました。
そして私は強く思いました。
「自分も父のように、患者様にとって“生涯頼れる存在”になりたい」
「その場限りの治療ではなく、患者様の健康に心から向き合い、長く寄り添う医療を続けたい」
これまで”父を助ける歯科医師になりたい”と必死に積み上げてきた歯科医師という職業への想いが、次第に
“地域の患者様を守るために努力し続ける”
という使命へと変わったことを実感しました。
これからも、一人ひとりの患者様の想いに耳を傾け、技術の研鑽を怠らず、健康を守るパートナーとして寄り添い続けたいと考えています。
| 院長略歴 | |
|---|---|
| 1978年 | 大阪生まれ、大阪育ち B型 |
| 2003年 |
大阪歯科大学卒業 在学中はヨット部主将を経験 |
| 2003年 | 医療法人 徳真会にて勤務 分院長を5年間歴任 |
| 2010年 | 南森町 増田歯科医院 継承 |
| 2015年 | 南森町 増田歯科・矯正歯科 開院 |
| 2020年 | 医療法人健誠会 法人化 開院 |
| 所属学会など |
|---|
| 国際口腔インプラント学会 認定医 |
| 日本成人矯正学会 |
| 日本顎咬合学会 咬み合わせ認定医 |
| 健康のための永久歯列矯正認定医 |
| 子どもの歯並び予防矯正認定医 |
| 日本一般臨床矯正研究会 |
| SJCD |
| 日本咬合育成学会 |
| COKI(古希の会) |
| GPO |
スタッフ
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歯科医師
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歯科医師
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歯科衛生士
患者様のよりよい生活の為に、患者様と思いをひとつにして歯周治療とメンテナンスをしていきます。
患者様から親しまれ安心感のある治療を心掛けて参ります。 -
歯科衛生士
歯医者に来るのが楽しみになるように、そして毎日のお食事が楽しくできるようにサポートさせて下さい。
何でも気軽にご相談下さい!! -
歯科衛生士
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歯科助手兼受付
患者様の不安な気持ちに寄り添い、患者様と先生との懸け橋となり、安心して通院いただけるように心がけております。また、笑顔を大切にし、気持ちよく帰っていただけるようにしていきます。
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管理栄養士 / 歯科助手
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歯科助手
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歯科助手兼受付